SUMMARY

スペインは、イベリア半島の大部分を占める国である。

1492年のコロンブスの大陸到達以降、アメリカ大陸やフィリピンに広い海外領土を築いた。

マニラを経由して日本にも宣教師が渡ったが、サン=フェリペ号事件などを経て江戸幕府の警戒は強まり、1624年にはポルトガルに先立って通交が断絶した。

国の基礎データ

スペインは、ヨーロッパ南西部、イベリア半島の大部分を占める国である。

首都はマドリード。

公用語はスペイン語で、北は大西洋、東は地中海に面している。

15世紀末以降、アメリカ大陸やアジアの一部にまで広がる広大な海外領土を築いたことで知られる。

大航海時代とスペインの拡大

1492年、スペインはイベリア半島最後のイスラム勢力を退けてレコンキスタ(国土回復運動)を完成させた。

同じ年、スペイン王室の支援を受けたコロンブスが大西洋を横断し、アメリカ大陸に到達した。

これ以降、スペインはアメリカ大陸に広大な植民地を築き、銀をはじめとする豊かな資源を本国にもたらした。

1494年にはポルトガルとの間でトルデシリャス条約を結び、新たに発見する地域の勢力範囲を取り決めた。

16世紀には、太平洋を越えてフィリピンにも勢力を広げ、1571年にはマニラを拠点とする植民地を築いた。

日本との出会い

スペインと日本との関わりは、マニラを経由するルートを通じて始まった。

16世紀後半、スペイン系の修道会(フランシスコ会など)の宣教師が、マニラから日本に渡ってキリスト教布教を行うようになった。

これは、すでに日本で布教していたイエズス会(主にポルトガルと結びついていた)とは別の系統の宣教活動であった。

スペインとの貿易は、マニラと日本の港を結ぶ形で行われ、限定的ではあるものの一定の交易が続いた。

サン=フェリペ号事件と禁教

1596年、スペインのガレオン船サン=フェリペ号が土佐(現在の高知県)に漂着する事件が起きた。

この事件をめぐり、船員の発言がスペインの海外拡大と布教活動を結びつけて語ったと伝えられ、豊臣秀吉のキリスト教への警戒を強めたとされる。

翌1597年、秀吉は宣教師と信者をあわせた26名を長崎で処刑した(日本二十六聖人)。

この事件には、フランシスコ会の宣教師など、スペインと関わりの深い人々も含まれていた。

国交断絶

江戸幕府もキリスト教への警戒を引き継ぎ、禁教政策を強めていった。

スペインは、宣教師を通じた布教と海外領土の拡大を結びつける存在と見なされたため、幕府の警戒はポルトガル以上に早く強まった。

1624年、江戸幕府はスペインとの通交を正式に断絶し、スペイン船の来航を禁じた。

これは、1639年のポルトガル船来航禁止に先立つものであり、江戸幕府が対外関係を段階的に絞り込んでいく過程の一つであった。

その後と現代の関係

スペインとの正式な国交は、19世紀後半の開国後にあらためて結ばれた。

1868年には日本とスペインの間で修好通商条約が結ばれ、外交関係が回復した。

現在の両国は友好関係にあり、経済・文化の両面で交流が続いている。

歴史的意義

スペインの歴史的意義は、マニラを介した宣教活動を通じて日本と接触し、江戸幕府が禁教・鎖国政策を固めていく過程に大きく関わった点にある。

サン=フェリペ号事件と日本二十六聖人殉教は、日本がヨーロッパの海外拡大と宣教活動を警戒するようになった転機として重要である。

スペインとの関係の展開を知ることは、江戸幕府が対外関係をどのように選別し、制限していったかを理解する手がかりになる。