SUMMARY

GHQは、第二次世界大戦後に日本を占領管理した連合国軍最高司令官総司令部である。

非軍事化と民主化を基本方針とし、日本国憲法の制定、農地改革、財閥解体、教育改革などを進めた。

冷戦の進展により政策は転換し、1952年に占領は終結した。

背景

GHQとは、第二次世界大戦後に日本を占領管理した連合国軍最高司令官総司令部のことである。

正式には General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers といい、日本では連合国軍総司令部とも呼ばれる。

1945年8月、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏し、同年9月から連合国による占領が始まった。

最高司令官にはアメリカのダグラス・マッカーサーが就任し、GHQは日本政府を通じて改革を進めた。

占領政策の基本

占領政策の基本目標は、非軍事化と民主化であった。

非軍事化では、日本軍の解体、軍需産業の整理、戦争指導者の公職追放などが行われた。

民主化では、政治・経済・社会のしくみを変え、国民の権利を広げる改革が進められた。

1945年には五大改革指令が出され、女性参政権、労働組合の育成、教育制度の自由化などが示された。

主な改革

GHQのもとで、日本国憲法の制定、農地改革、財閥解体、労働改革、教育改革が進められた。

日本国憲法は1946年に公布され、1947年に施行された。

憲法は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱とした。

農地改革では地主制が見直され、多くの小作農が自作農となった。

財閥解体では、戦前の大企業集団の力を分散させることが目指された。

占領政策の転換

冷戦が進むと、GHQの政策は日本の民主化だけでなく、経済復興と反共の防波堤づくりを重視する方向へ変わった。

この転換は逆コースと呼ばれる。

1948年には経済安定九原則が示され、1949年にはドッジ・ラインによる財政金融の引き締めが行われた。

1950年に朝鮮戦争が始まると、特需によって日本経済は回復のきっかけを得た。

占領の終結

1951年、サンフランシスコ平和条約が調印され、日本は独立回復への道を進んだ。

同時に日米安全保障条約も結ばれ、戦後日本の外交・安全保障の基本的な枠組みが作られた。

1952年に平和条約が発効し、GHQによる占領は終わった。

GHQの占領改革は、戦後日本の政治・社会・経済の出発点を形づくった。