「天皇」とは日本の君主の称号であり、7世紀後半の天武朝において「大王(おおきみ)」に代わって使われ始めたとされる。
律令国家においては統治権の頂点に位置づけられ、公地公民・班田収授の主体として制度上の最高権威を持った。
中世以降は武家政権の台頭によって実質的権力を失い、権威の象徴として存続し続けた。
近代の大日本帝国憲法では「統治権の総攬者」とされたが、第二次世界大戦後の日本国憲法のもとで「日本国の象徴」へと転換し、今日に至る。
「天皇」号の成立
古代ヤマト政権の君主は「大王(おおきみ)」と呼ばれていた。
「天皇」という称号がいつ成立したかについては諸説あるが、7世紀後半の天武天皇の時代に制度的に確立されたとする見解が有力である。
天武朝には「天皇」号と並んで「日本」という国号も整備されたとされる。
これらはいずれも、律令国家建設の一環として中国(唐)に対等な独立国家であることを示すための整備であったと理解されている。
「天皇」という語は中国の道教・天文思想に由来し、「天の中心(北極星)を司る者」を意味するとも説明される。
ヤマト政権の首長が普遍的な権威を持つ君主として再定義されていく過程で採用された称号である。
律令国家における天皇
律令制のもとでは、天皇は二官八省を統括する最高権力者として位置づけられた。
公地公民の原則において、全ての土地と人民は天皇(国家)に帰属するとされ、班田収授・租庸調の徴収も天皇の権威を基盤とした。
皇位継承は原則として男系で行われ、皇族・貴族との婚姻関係が政治的な権力構造と深く結びついた。
9世紀以降、藤原氏が天皇の外戚となって摂政・関白の地位を占める摂関政治が成立し、摂政・関白として天皇を補佐する形で実権を握る体制が定着した。
11世紀末には、退位した天皇(上皇・法皇)が「院」として政務を執る院政が始まった。
後三条天皇・白河上皇以降の院政期は、摂関家の影響を排して皇権を回復しようとする試みであった。
武家政権下の天皇
1185年に鎌倉幕府が成立して以降、天皇・朝廷の実質的な政治権力は大きく後退した。
土地支配・軍事力を掌握した武家が実権を握り、天皇は儀礼・文化的権威の象徴として存続する形となった。
14世紀、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して建武の新政(1333年)を樹立し、天皇親政の復活を試みた。
しかし武士層の支持を得られず、足利尊氏の離反によって約2年で崩壊した。
その後の室町・江戸時代を通じて、天皇は政治的実権を持たないまま権威の象徴として維持された。
近代天皇制
明治維新後、1889年に発布された大日本帝国憲法は天皇を「統治権ノ総攬者」と定めた。
陸海軍の統帥権・条約締結権・議会の召集・解散権など、法制上は広範な大権が天皇に属した。
さらに、神社祭祀を国家的儀礼として位置づける国家神道と結びつくことで「現人神(あらひとがみ)」としての権威が強調された。
この体制のもとで行われた日清・日露戦争、さらに太平洋戦争は、天皇の名のもとに遂行された。
1945年8月、昭和天皇の玉音放送によって日本は連合国に降伏した。
象徴天皇制
1946年に公布された日本国憲法は、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定め、国政に関する権能を持たないとした。
主権は国民に帰属し、天皇の国事行為は内閣の助言と承認に基づくこととされた。
現在の天皇は国会の召集・法律の公布・外国大使の接受など形式的な国事行為を担うとともに、国内外の公務・被災地訪問・文化・福祉への関与を通じて「象徴」としての役割を果たしている。
「大王(おおきみ)」は古代豪族連合の盟主としての称号であり、権力基盤は豪族との協調にあった。
「天皇」への改称は、豪族連合体から中央集権的律令国家へと統治形態が転換するなかで、君主の最高権威を制度的に確立しようとする動きの一環である。
「日本」国号・元号制定とあわせて、対外的な独立国家としての体裁を整える意図もあったとされる。