旧石器時代は、土器をもたず、打製石器を用いて狩猟・採集を営んだ時代である。
地質学上の更新世(氷期)にあたり、海面が低下して日本列島と大陸の間を人や動物が移動しやすくなる時期もあった。
人々は、ナウマンゾウなどの大型動物を追い、獲物や植物を求めて移動しながら生活していた。
日本では長くその存在が確認されていなかったが、1949年の岩宿遺跡の調査によって実在が初めて実証された。
氷期の日本列島と環境
旧石器時代は、地質学でいう更新世(こうしんせい)の時期にあたる。
更新世は、氷期と間氷期がくり返された寒冷な時代であり、現在よりも気温が低かった。
氷期には地球上の水が氷河として陸地にとどまり、海面が今より大きく低下した。
このため日本列島は、たびたび大陸に近づき、人や動物が往来しやすくなる時期があった。
大陸からはナウマンゾウやオオツノジカが、北方からはマンモスなどの大型動物が渡ってきた。
人々は、これらの大型動物を追って、日本列島へと移り住んできたと考えられている。
打製石器と道具の発達
旧石器時代の人々は、石を打ち欠いてつくる打製石器を主な道具とした。
打製石器には、用途や時期によってさまざまな種類がある。
代表的なものに、薄くはがした石を加工したナイフ形石器や、槍の先につけた尖頭器(せんとうき)がある。
旧石器時代の終わりごろには、小さな石刃を木や骨の柄にはめこんで使う細石器(さいせっき)が現れた。
また日本列島では、刃の一部だけを磨いた局部磨製石器も用いられ、これは世界的にも古い磨製の技術として知られている。
石の表面を広く磨いた磨製石器が一般的に使われるようになるのは、縄文時代以降である。
人々の暮らし
旧石器時代の人々は、狩猟と採集によって食料を得ていた。
大型動物を追い、木の実や植物を採りながら、獲物を求めて移動する生活を送っていた。
住まいには、簡単なテント状の小屋や、岩陰(いわかげ)などが利用されたと考えられている。
一か所に定住せず、数家族ほどの小さな集団で移動をくり返していたとみられる。
土器はまだつくられておらず、煮炊きを中心とした調理は発達していなかった。
このため旧石器時代は、先土器時代(せんどきじだい)や無土器時代とも呼ばれる。
化石人骨と人々の姿
旧石器時代の人々の姿は、各地で見つかった化石人骨からうかがうことができる。
静岡県の浜北人(はまきたじん)や、沖縄県の港川人(みなとがわじん)は、その代表的な例である。
これらの化石人骨は、いずれも更新世の日本列島で生活していた人々のものとされる。
とくに港川人は、比較的良好な状態で全身に近い骨が見つかっており、当時の人々の体つきを知る手がかりとなっている。
沖縄県では石灰岩の地質が骨を残しやすく、旧石器時代の人骨が複数発見されている。
研究の出発点となった岩宿遺跡
日本に旧石器時代が存在したことは、長い間学問的に確かめられていなかった。
かつては、日本列島の人類の歴史は土器を使う縄文時代から始まると考えられていた。
この常識をくつがえしたのが、群馬県の岩宿遺跡の発見である。
1946年、相沢忠洋(あいざわただひろ)が関東ローム層の中から打製石器を見つけた。
1949年の学術調査でその存在が確認され、日本にも旧石器時代があったことが初めて実証された。
これをきっかけに各地で調査が進み、日本列島の人類史は大きくさかのぼることとなった。
やがて気候が温暖化し、土器の使用が始まると、時代は縄文時代へと移っていく。