ロッキード事件は、1976年に発覚した戦後日本の大規模な汚職事件である。
アメリカの航空機メーカー・ロッキード社が、商社・丸紅を介して全日空への大型旅客機売り込みを巡る資金を日本の政界に流していたことが、米上院の公聴会で明らかになった。
同年7月、田中角栄前首相が外為法違反などの容疑で逮捕され、戦後の金権政治への批判が大きく高まった。
事件の発覚と田中逮捕
1976年2月、アメリカ上院の公聴会で、ロッキード社が世界各国の政府関係者に多額の不正資金を渡して航空機の売り込み工作を行っていた事実が明らかになった。
日本では、商社・丸紅を介して、全日空による大型旅客機機種選定をめぐる資金が政界に流れたとされた。
東京地検特捜部は捜査を進め、同年7月、田中角栄前首相を外国為替及び外国貿易管理法違反(外為法違反)の容疑で逮捕した。
のちに田中は受託収賄罪でも起訴された。
首相経験者の逮捕は戦後初であり、大きな反響を呼んだ。
丸紅幹部や全日空関係者、運輸政務次官経験者ら政・官・財界の関係者も次々と逮捕・起訴された。
三木内閣と政界への波及
当時の三木武夫内閣は、事件の徹底解明を掲げ、捜査への政治的介入を控える姿勢を示した。
この姿勢は当時「クリーン三木」(クリーンな政治を掲げた三木の姿勢を表す当時の評価語)と呼ばれた。
しかし、田中元首相を含む自民党実力者の摘発が進むにつれ、党内では事件処理を巡る不満が高まった。
福田赳夫・大平正芳らを中心に三木首相の退陣を求める「三木おろし」(三木首相の退陣を要求した党内の動き)が広がった。
三木は同年12月の総選挙で自民党が敗北したのを機に、年末に退陣した。
事件は、自民党の派閥政治と巨額の政治資金が結びつく構造を改めて世論にさらすこととなり、戦後日本の金権政治への批判を強める契機となった。
裁判とその後
田中元首相は1983年10月、東京地裁で受託収賄罪により懲役4年・追徴金5億円の有罪判決を受けた。
控訴審でも有罪が維持されたが、田中は政治活動を続けたまま1993年に死去し、最高裁判決を前に公訴棄却となった。
ロッキード事件は、戦後日本における政治腐敗の象徴として記憶され、後年の政治資金規正や政治改革議論の出発点となった。