SUMMARY

三木内閣は、1974年(昭和49年)12月から1976年(昭和51年)12月まで続いた、三木武夫を首相とする内閣である。

田中角栄前首相が金脈問題で退陣したあとを受け、「クリーンな政治」の回復を期待されて成立した。

政治資金規正法の改正などの政治改革を進める一方、ロッキード事件では真相究明の姿勢を示し、検察の捜査により田中前首相の逮捕に至った。

しかしこれに反発する党内の倒閣運動(「三木おろし」)を招き、総選挙での敗北を機に退陣した。

内閣の成立 ——「椎名裁定」とクリーン三木

1974年(昭和49年)12月、田中角栄首相は、月刊誌が報じた個人資産の形成過程をめぐる疑惑(金脈問題)への批判が高まるなか退陣した。

田中角栄内閣の総辞職を受けた自由民主党(自民党)の後継総裁選びは、派閥間の対立から候補が乱立し、調整が難航した。

このとき党は、議員や党員による投票ではなく、副総裁の椎名悦三郎に後継者の指名を一任した。

椎名が三木武夫を推したこの決定は「椎名裁定」と呼ばれる。

三木は自民党内では小規模な派閥を率いるにすぎなかったが、長く党の金権体質と距離を置き、「クリーンな政治家」という評価を得ていた。

金脈問題で失われた国民の信頼を回復するため、党のイメージ刷新を期待されての起用であった。

三木が「クリーン三木」と呼ばれた所以である。

クリーン政治を掲げた政治改革

三木内閣は、金権政治への批判に応えるため、政治と金の関係を正すことを大きな課題に掲げた。

1975年(昭和50年)には政治資金規正法を改正し、企業や団体による献金に上限を設けるとともに、政治資金の収支報告を義務づけて公開性を高めた。

あわせて公職選挙法も改正し、選挙運動の費用や方法に対する規制を強めた。

これらは、のちの政治資金をめぐる制度の基礎となった。

三木はさらに、市場の独占を抑え公正な競争を守るための独占禁止法の改正をめざした。

価格カルテルへの課徴金導入などを盛り込もうとしたが、産業界や党内の反発が強く、三木内閣のもとでは成立しなかった。

改正案は、次の福田赳夫内閣下の1977年に、内容を後退させたうえでようやく成立した。

クリーン政治の理念が、党内の利害の前に十分には貫けなかったことを示す出来事であった。

このほか三木内閣は1976年、防衛関係費を国民総生産(GNP)の1パーセント以内に抑えるという方針を閣議で決定した(防衛費1パーセント枠)。

これは以後の防衛費の一つの目安となった。

ロッキード事件と「真相究明」

1976年(昭和51年)2月、アメリカ合衆国の上院委員会での証言から、航空機メーカーのロッキード社が日本の政府高官に多額の資金を渡していた疑惑が明らかになった(ロッキード事件)。

三木首相は、この事件に対して真相究明の姿勢を示し、政府としてアメリカ側に資料の提供を求めた。

捜査は検察の独立した判断で進められ、同年7月には田中角栄前首相が外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕され、のちに受託収賄罪で起訴された。

前首相の逮捕という異例の事態のなかでも、みずからが率いる自民党の有力者への捜査に政治介入をしなかった三木の姿勢は、「クリーン政治」を体現するものと評価された。

「三木おろし」と党内対立

しかし、前首相の逮捕にまで及んだ究明姿勢は、田中をはじめとする党内主流派の強い反発を招いた。

事件で打撃を受けた派閥を中心に、三木を首相の座から引きずりおろそうとする動きが強まり、これは「三木おろし」と呼ばれた。

少数派閥を基盤とする三木にとって、党内の多数派の支持を欠いた政権運営は厳しいものであった。

党の動揺は、組織からの離脱も生んだ。

1976年6月には、河野洋平ら一部の議員が自民党を離党し、新自由クラブを結成した。

彼らは自民党の金権体質を批判し、政治の刷新を掲げた。

保守政党からの集団離党は当時としては異例であり、長く続いた自民党政権がゆらぎを見せた一例である。

総辞職へ ——ロッキード選挙と退陣

1976年12月、衆議院議員の任期満了にともなう総選挙が行われた。

ロッキード事件への批判を背景としたこの選挙で、自民党は議席を減らし、結党以来はじめて選挙で過半数を確保できなかった。

自民党は無所属で当選した議員を追加で迎えることでかろうじて過半数を回復したものの、政権の威信は揺らいだ。

選挙の敗北の責任を負うかたちで、三木は退陣を表明した。

1976年12月、三木内閣は総辞職し、後継には福田赳夫内閣が成立した。

三木内閣は、金権政治への反省から生まれ、政治改革とロッキード事件の究明に取り組んだ一方で、その姿勢ゆえに党内の支持を固めきれずに終わった内閣であった。

クリーン政治を掲げた三木の試みは、戦後政治における政治改革の一つの原点として位置づけられる。