SUMMARY

ポルトガルは、イベリア半島西端に位置する国である。

15世紀から大航海時代を先導し、1543年には種子島に漂着して日本に鉄砲を伝えたとされる。

以後、南蛮貿易とキリスト教布教を通じて日本と結びついたが、江戸幕府の禁教政策により1639年に来航を禁じられ、関係は一時途絶えた。

国の基礎データ

ポルトガルは、ヨーロッパ南西部、イベリア半島の西端に位置する国である。

首都はリスボン。

公用語はポルトガル語で、西はすべて大西洋に面している。

15世紀から16世紀にかけて、いち早く大西洋・インド洋への航海に乗り出し、アジアにまで及ぶ広い交易網を築いたことで知られる。

大航海時代の先駆け

15世紀前半、ポルトガルはエンリケ航海王子のもとで、アフリカ西岸を南下する探検航海を組織的に進めた。

1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達し、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達する航路を開いた。

これによりポルトガルは、インド・東南アジアと直接結ばれる海路を手に入れ、香辛料貿易の中心地であったゴア(1510年占領)やマラッカ(1511年占領)を拠点として、アジアに広い交易網を築いた。

1494年にはスペインとの間でトルデシリャス条約を結び、新たに発見する地域の勢力範囲を取り決めた。

日本との出会い

ポルトガル人が日本に姿を現すのは16世紀半ばのことである。

1543年、種子島にポルトガル人を乗せた船が漂着し、日本に鉄砲が伝わったと伝えられる。

この時の船は王直にかかわる貿易船であったとの伝承も残る。

1549年には、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが来日し、日本でのキリスト教布教を始めた。

これ以降、ポルトガル人との貿易は、いわゆる南蛮貿易として本格化していく。

南蛮貿易とキリスト教の広がり

南蛮貿易では、中国産の生糸・絹織物や鉄砲・火薬の原料などがもたらされ、日本からは灰吹法によって増産された銀が対価として輸出された。

1571年には長崎が開港し、ポルトガル船が来航する主要な港として発展した。

イエズス会の布教活動も各地に広がり、九州の大名の中にはキリスト教徒となる者も現れた。

パン・タバコ・カルタ・天ぷらなど、ポルトガル語に由来する言葉が日本語に取り入れられたのもこの時期である。

禁教と貿易停止

16世紀末になると、豊臣秀吉はキリスト教の広がりと宣教師の活動を警戒するようになった。

1587年、秀吉はバテレン追放令を出し、宣教師の国外追放を命じた。

江戸幕府もこの方針を引き継ぎ、17世紀初めには禁教令を出してキリスト教の布教と信仰を禁じた。

1637年から翌年にかけて起こった島原の乱(キリシタンを含む領民による大規模な一揆)は、幕府のキリスト教への警戒をいっそう強めた。

1639年、幕府はポルトガル船の来航を全面的に禁止し、貿易は事実上終了した。

以後、ヨーロッパとの貿易は、布教を行わないオランダのみに限られることになった。

その後と現代の関係

ポルトガルとの正式な国交は、19世紀後半の開国後に再び結ばれた。

1860年には日本とポルトガルの間で修好通商条約が結ばれ、外交関係が回復した。

現在の両国は友好関係にあり、長崎などには南蛮貿易の時代を伝える史跡や文化が残されている。

歴史的意義

ポルトガルの歴史的意義は、日本にとって最初にヨーロッパと直接結びついた相手国であった点にある。

鉄砲伝来とキリスト教の伝来は、戦国時代の戦い方や社会に大きな影響を与え、南蛮貿易は日本の経済・文化にも新しい要素をもたらした。

ポルトガルとの関係の展開と終わりを知ることは、日本がどのように海外との接触を選び取り、また制限していったかを理解する手がかりになる。