佐藤栄作(1901〜1975年)は、第61〜63代内閣総理大臣として1964年から1972年まで2,798日にわたり政権を担い、当時としては戦後最長の連続在任記録を残した政治家である。
兄は第56・57代首相の岸信介である。
1965年の日韓基本条約締結、1968年の小笠原諸島返還、1972年の沖縄返還を実現し、戦後処理を進展させた。
1967年には「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の非核三原則を表明し、1974年に日本人初のノーベル平和賞を受賞した。
官僚から政治家へ
佐藤栄作は山口県熊毛郡田布施町に生まれた。
東京帝国大学法学部を卒業後に鉄道省へ入省し、運輸次官まで昇進した。
1948年の第二次吉田内閣で官房長官に抜擢されて政界入りし、1949年に衆議院議員に初当選した。
吉田茂の側近として頭角を現したが、1954年の造船疑獄では収賄容疑で逮捕直前まで追い込まれ、犬養健法相による指揮権発動で起訴を免れた。
この経験は後の派閥運営における慎重さの背景となった。
1957年に兄・岸信介が首相に就任し、翌1958年には蔵相を務め、1960年代には池田勇人内閣で通産相・北海道開発庁長官などを歴任した。
沖縄返還と非核三原則
1964年11月、池田勇人の病気退陣を受けて佐藤は第61代内閣総理大臣に就任した。
在任中の主要な外交課題は、米国施政権下にあった沖縄の返還であった。
1965年6月、佐藤内閣のもとで日韓基本条約が締結され、戦後20年を経て大韓民国との国交が樹立された。
1967年12月の衆議院予算委員会では、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を表明した。
1968年6月には小笠原諸島が日本に返還された。
1969年11月、佐藤はワシントンでニクソン大統領と会談し、日米共同声明で「核抜き・本土並み」の条件による沖縄返還に合意した。
1971年6月に沖縄返還協定が調印され、1972年5月15日、沖縄は27年ぶりに日本に復帰した。
これにより戦後処理の主要課題の一つが決着した。
長期政権の終焉とノーベル平和賞
佐藤は1964年から1972年7月まで連続2,798日にわたり首相を務め、戦後最長の連続在任記録を樹立した(2020年に安倍晋三が更新するまで保持)。
長期政権の基盤は派閥運営と人事掌握にあり、吉田茂の系譜を引く佐藤派は自民党屈指の派閥に成長し、後の田中派の母体となった。
1972年6月、沖縄返還を花道として退陣を表明し、後継を巡る自民党総裁選では福田赳夫を推したが、田中角栄に敗れた。
退任後の1974年12月、非核三原則の表明と核拡散防止条約への署名を理由にノーベル平和賞を受賞した。
日本人としてのノーベル平和賞は初であった。
ただし2010年、外務省の有識者委員会は核持ち込みに関する日米「密約」の存在を認定しており(『いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書』)、非核三原則の運用実態については議論が続いている。
佐藤は1975年6月に死去した。