飛鳥時代

乙巳の変

645年6月12日(旧暦)、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや:当時の宮殿)において、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を暗殺したクーデター。
翌日には中大兄方の軍勢に邸宅を包囲された父・蝦夷も自害し、蘇我本宗家は滅亡した。
この事件を契機に始まる「大化改新」の起点となった。

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安土桃山時代

バテレン追放令

バテレン追放令とは、1587年に豊臣秀吉が出した、キリスト教の宣教師を国外へ退去させることを命じた法令である。
九州平定の直後に発せられたが、南蛮貿易は認められたため徹底されなかった。

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鎌倉時代

執権政治

鎌倉幕府で、将軍を補佐する執権の職を北条氏が世襲し、政治の主導権を握った体制。
源氏の将軍が3代で絶えたのち、北条時政・義時が地位を固めた。
3代執権の北条泰時は連署と評定衆を置き、有力御家人による合議で政務を進める形を整えた。
のちに北条氏の家督である得宗へ権限が集まった。

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鎌倉時代

御成敗式目

1232年(貞永元年)、3代執権の北条泰時が定めた武家最初の成文法。
全51か条からなり、御家人の所領をめぐる争いを裁く基準を示した。
頼朝以来の先例と、武士の間で守られてきた慣習(道理)にもとづいて作られ、朝廷の律令とは別の体系として、のちの武家法の手本となった。

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鎌倉時代

元寇

1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の2度にわたる元(モンゴル帝国)と高麗の軍による日本への襲来。
8代執権の北条時宗のもとで御家人が九州北部で迎え撃った。
いずれも暴風雨などにより元軍は退いたが、幕府は恩賞となる新たな土地を得られず、御家人の負担が残った。

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鎌倉時代

承久の乱

1221年(承久3年)、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を出し、鎌倉幕府方と戦って敗れた。
乱後、上皇は隠岐へ配流され、幕府は京都に六波羅探題を置いた。
上皇方の所領は没収されて御家人に与えられ、幕府の支配は西国にも広がった。
朝廷と幕府の関係が大きく変わる契機となった。

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