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写真:内閣官房内閣広報室 / Wikimedia Commons(CC BY 4.0)
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すべての記事を見る幕藩体制
幕藩体制とは、将軍と大名の主従関係を基礎に、江戸幕府と藩が土地と人々を支配したしくみである。
幕府と藩の役割、大名の分類、武家諸法度と参勤交代による統制、石高・年貢との関係を説明し、明治維新後の廃藩置県までをたどる。
廃藩置県
廃藩置県は、1871年に明治政府が藩を廃止して県に改め、地方官を政府が任命する体制にした改革である。
版籍奉還で旧藩主が知藩事となった後、藩が廃止された経過と、府県の再編、教育・財政への影響を解説する。
天慶の乱/承平・天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)
承平・天慶の乱は、939年に東国で平将門が、西国で藤原純友が起こした二つの反乱の総称である。
将門は常陸・下野・上野の国府を占領して「新皇」と称し、純友は瀬戸内海の海賊を率いて国府や大宰府を襲った。
朝廷は平貞盛・藤原秀郷・源経基ら地方の武士の力を借りて941年までに鎮圧し、武士の実力を認めるようになった。
近年は天慶の乱とも呼ぶ。
平清盛
平安時代末期の武将・政治家(1118〜1181年)。
伊勢平氏の平忠盛の子として生まれ、保元の乱・平治の乱に勝って朝廷での地位を高め、1167年に武士として初めて太政大臣となった。
娘の徳子を高倉天皇の后とし、その子の安徳天皇を即位させて外祖父となる一方、大輪田泊を修築して日宋貿易を進めた。
1179年に後白河法皇の院政を止めたが、源頼朝らの挙兵が広がるなかで1181年に病死し、平氏は1185年に滅んだ。
治承・寿永の乱(源平の争乱)
治承・寿永の乱は、1180年(治承4年)の以仁王の挙兵から1185年(文治元年)の壇ノ浦の戦いまで約6年間続いた内乱である。
源頼朝・源義仲ら各地の武士が平氏政権に対して挙兵し、平氏は都落ちののち一ノ谷・屋島・壇ノ浦で敗れて滅んだ。
頼朝は内乱のなかで東国の支配を朝廷に認めさせ、守護・地頭を置く権限を得て、鎌倉幕府の土台を築いた。
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