SUMMARY

バテレン追放令とは、1587年に豊臣秀吉が出した、キリスト教の宣教師を国外へ退去させることを命じた法令である。

九州平定の直後に発せられたが、南蛮貿易は認められたため徹底されなかった。

のちの江戸幕府による禁教へとつながる出発点となった。

バテレン追放令とは

バテレン追放令(バテレンついほうれい)とは、1587年に豊臣秀吉が出した、キリスト教の宣教師を国外へ退去させることを命じた法令である。

「バテレン」とは、宣教師を意味するポルトガル語(padre、父・神父の意)が日本語になったものである。

背景

16世紀の半ばにイエズス会の宣教師によって伝えられたキリスト教は、南蛮貿易(なんばんぼうえき、ポルトガル・スペインとの貿易)と結びつきながら西日本を中心に広がっていた。

大名の中にも洗礼を受ける者があらわれ、こうしたキリシタン大名の中には、領内の神社や仏閣を壊したり、領民に信仰を強いたりする例もあった。

また、長崎がイエズス会に寄進される(教会の所領として差し出される)など、宣教師が土地や人々に強い影響力を持ち始めていた。

発令の経緯

1587年、豊臣秀吉は九州の島津氏を降して九州を平定した。

その直後、秀吉は現地でキリスト教の広がりを目の当たりにし、宣教師の国外退去を命じるバテレン追放令を出した。

内容

追放令では、宣教師に対して一定の期間内に日本を去ることが命じられた。

一方で、貿易そのものを禁じたわけではなく、商人の来航や南蛮貿易は引き続き認められた。

徹底されなかった理由

バテレン追放令は出されたものの、実際にはあまり徹底されなかった。

その大きな理由は、キリスト教の布教と南蛮貿易が強く結びついており、宣教師を完全に追い出すと貿易の利益まで失われるおそれがあったためである。

このため宣教師の活動は水面下で続き、キリシタンの数もすぐには大きく減らなかった。

影響と意義

バテレン追放令は、それまで比較的自由であったキリスト教の布教に、政権が初めて明確な制限を加えたものである。

同じ1587年には、海上の武力を規制する海賊取締令も出されており、秀吉が対外関係や社会の秩序を国家として管理しようとしていたことがうかがえる。

この追放令は、のちの江戸幕府による本格的な禁教(きんきょう、キリスト教の禁止)へとつながる流れの出発点となった。