SUMMARY

「列島改造」に伴う地価の上昇や、第1次石油危機による原油価格の高騰を背景に、1974年の消費者物価上昇率が約23%に達した事態をいう。

トイレットペーパーなどの生活必需品が店頭から姿を消し、消費者の買い溜めが広がった。

金融引締めの結果、1974年の実質経済成長率は戦後初のマイナス成長を記録し、日本経済はスタグフレーション(景気停滞と物価上昇が同時に起きる状態)に陥った。

列島改造が火をつけた物価上昇

1972年7月に成立した田中角栄内閣は、「日本列島改造論」を経済政策の柱に掲げた。

新幹線・高速道路網の地方展開と工場の地方分散を促す構想は、投機的な土地買い占めを各地で誘発し、地価・物価の上昇を招いた。

さらに、景気過熱に対する金融政策の対応が遅れ、市場への通貨供給量が膨らんでいたことも、物価上昇圧力を高める要因となった。

1973年前半の時点で、すでに消費者物価は前年比10%超の上昇を記録しており、石油危機が到来する以前から日本経済は物価高の基調にあった。

第1次石油危機(1973年)

1973年10月、第4次中東戦争(エジプト・シリア対イスラエル)が勃発した。

これに対しアラブ石油輸出国機構(OAPEC)はイスラエル支持国への石油輸出禁止と産油量の段階的削減を決定し、石油輸出国機構(OPEC)も原油公示価格の大幅な引上げに踏み切った。

原油価格は約4倍となり、「第1次石油危機(オイルショック)」と呼ばれる事態となった。

日本は高度成長期を通じて石油依存型の重化学工業を発展させており、エネルギーコストの上昇は生産コスト全般に波及し、物価上昇をさらに加速させた。

「狂乱物価」と社会の動揺

石油危機を契機に、企業の便乗値上げや消費者の将来不安が重なり、物価上昇が一段と進んだ。

特に1973年末から1974年初頭にかけて、トイレットペーパー・洗剤・砂糖などの生活必需品が店頭から姿を消し、消費者の買い溜めと業者の売り惜しみが相互に物価を押し上げた。

1974年の消費者物価上昇率は約23%に達し、この事態は「狂乱物価」と呼ばれた。

政府・日本銀行は公定歩合の大幅引き上げによる金融引締めと総需要抑制策をとり、物価抑制を最優先課題と位置づけた。

戦後初のマイナス成長と高度成長の終焉

金融引締めの効果もあり、物価上昇は1975年にかけて鈍化していった。

一方で総需要の収縮により、1974年の実質経済成長率は戦後初のマイナス成長を記録した。

景気後退・物価上昇・経常収支悪化が同時に進行し、高度成長期を支えた拡大基調は転換点を迎えた。

この経験は日本の産業構造を大きく変えた。

重油を大量消費する鉄鋼・石油化学などの重厚長大型産業は競争力を失い、省エネ技術を核とした自動車・電機などの軽薄短小型産業へのシフトが進んだ。

以後の日本経済は年平均4〜5%の安定成長期に移行し、高度成長(年平均10%超)の時代は事実上終わりを告げた。