時代を動かした個人を時代区分別にたどる。氏族・制度ではなく、固有名の人物を収録する。
飛鳥・奈良・平安。律令国家の形成と、貴族政治の時代。
舒明天皇と皇極(斉明)天皇の子。645年、中臣鎌足と謀って乙巳の変を起こし、蘇我氏本宗家を滅ぼした。皇太子として大化改新を推進。663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたのち、九州北部の防衛強化と近江大津宮への遷都を進めた。668年に即位して天智天皇となり、670年に最古の全国的戸籍庚午年籍を作成。671年に崩御し、翌672年に皇位継承をめぐって壬申の乱が起きる。
本名は厩戸王(うまやとのおう)。574年生まれ。用明天皇の皇子で、母方も蘇我氏の血を引く。593年、叔母にあたる推古天皇のもとで政治を補佐し、大臣の蘇我馬子と協力して政務を主導した。推古朝では603年に冠位十二階、604年に十七条憲法が定められた。607年には小野妹子を遣隋使として送り、隋に対等の姿勢を示した。仏教を篤く信仰し、法隆寺・四天王寺を建立、三経義疏を著したと伝わる。622年に死去。その子・山背大兄王は643年に蘇我入鹿に滅ぼされ、これが乙巳の変の遠因となった。
鎌倉・室町・戦国。武家政権の成立と展開の時代。
1560年、桶狭間で今川義元を討ち、「天下布武」の印判を用いつつ、全国統一の事業を進めた。1573年、室町幕府を滅ぼし、その後畿内平定を達成した。天下人としての名声を高めたが、1582年、本能寺の変に倒れた。
王直(おうちょく)とは、16世紀に活動した中国人の貿易商人で、後期倭寇を代表する頭目の一人である。明の海禁政策のもとで密貿易を大規模に組織し、日本の平戸を拠点に東アジアの海上交易を左右した。明の官僚胡宗憲との交渉の末に投降したが、1559年に処刑された。
安土桃山・江戸。幕藩体制下の政治と社会を動かした人々。
三河の小大名に生まれ、今川氏の人質から織田信長との同盟を経て自立。豊臣秀吉に臣従したのち、関ヶ原の戦いに勝利して1603年に江戸幕府を開いた。大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度を定めて約260年続く幕藩体制の礎を築いた。
ルイス=フロイスとは、ポルトガル出身のイエズス会宣教師である。戦国から安土桃山にかけての日本に長く滞在し、織田信長らと接した。布教のかたわら『日本史』を著し、当時の日本を伝える貴重な史料を残した。
明治・大正・昭和・平成。近代国家形成から戦後までを生きた人物。
佐藤栄作(1901〜1975年)は、第61〜63代内閣総理大臣として1964年から1972年まで2,798日にわたり政権を担い、当時としては戦後最長の連続在任記録を残した政治家である。兄は第56・57代首相の岸信介である。1965年の日韓基本条約締結、1968年の小笠原諸島返還、1972年の沖縄返還を実現し、戦後処理を進展させた。1967年には「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の非核三原則を表明し、1974年に日本人初のノーベル平和賞を受賞した。
肥前佐賀藩出身。明治新政府で大蔵卿などを歴任し財政改革を主導するが、1881年の明治十四年の政変で薩長藩閥から追放された。下野後、立憲改進党を結成し、東京専門学校(後の早稲田大学)を創設。1898年に板垣退助と組んで日本初の政党内閣(隈板内閣)を組織。第一次世界大戦中の1914年から1916年まで第2次大隈内閣を率い、対華二十一カ条要求などを行った。
新潟県出身。高等小学校卒で土木建築業を営んだのち、衆議院議員に初当選した。池田・佐藤内閣の蔵相を務め、1972年に自民党第6代総裁となり第64・65代内閣総理大臣を務めた。首相在任中に日中国交正常化を実現し、日本列島改造論でインフラ整備による地方振興を推進した。しかし1974年の金脈問題で退陣し、1976年にはロッキード事件で逮捕された。失脚後も「闇将軍」と呼ばれ影響力を保ち続けた。
徳島県出身の政治家であり、戦前から衆議院議員を務め、1955年の自民党結党に合流した。金脈問題で退陣した田中角栄の後を継いで、自民党第7代総裁・第66代内閣総理大臣に就任した。「クリーン三木」を掲げてロッキード事件では捜査への政治介入をしない姿勢を貫いた。党内主流派による「三木おろし」を受け、1976年12月の総選挙敗北を機に退陣した。